オーディオ道に「これでよい」ということはないのかもしれない。
良い音の向こうに、更に良い音が待っている。
オーディオ愛好家には「もっと光を」ではないが、「もっと良い音を」という願望が常にある。
では、「もっと、もっと良い音」とはどういうものか。
それさえも、よくわからない。
実際のところ、無い物ねだりである。
ただ、私が近頃感じることは、リラックスできるような音楽を、スピーカーから風のようにたなびかせる時、それは極上の音に限りなく近いということである。
その鍵は、最適な≪音量≫にあるということだ。
音が大きすぎてもいけないし、小さすぎてもダメ。
空気感のような音は、極上の音に違いない。
2010年6月30日水曜日
2010年6月7日月曜日
BOSEのヘッドフォン
BOSEのヘッドフォンは、音が良いばかりではない。
なんといっても素晴らしいのは、その装着感である。
クラシックの長大な曲を聞いても、耳や頭が痛くならないのだ。
普通一般のヘッドフォンで交響曲などを聞くと、終楽章に差し掛かるころには、かなり耳たぶが痛くなっているのが常であり、最後は輝かしいフィナーレを苦痛に耐えながら聞くということになりがちであった。
これがヘッドフォン最大の欠点である。
いくら音が良くても、この欠点がある限り、ヘッドフォンはどうしようもなく不完全なシロモノなのだ。
しかし、BOSEはそれを解決した。BOSEが民生用のヘッドフォン市場に参入してから、まだそんなに長い年月は経っていないが、BOSEはその第一号モデルから抜群の装着感を誇っていた。これだけでもう、最初から成功したようなものである。
現時点で、BOSE以上に装着感の良いヘッドフォンは、おそらく世界中のどこにもないであろう。
ヘッドフォンは、音が良いだけでは絶対にダメなのである。
音の良さに加えて、苦痛のない装着感がないといけない。
その点、総合性能でBOSEのヘッドフォンは世界一であろうと思う。どのモデルを買っても、満足すること間違いなしだ。

なんといっても素晴らしいのは、その装着感である。
クラシックの長大な曲を聞いても、耳や頭が痛くならないのだ。
普通一般のヘッドフォンで交響曲などを聞くと、終楽章に差し掛かるころには、かなり耳たぶが痛くなっているのが常であり、最後は輝かしいフィナーレを苦痛に耐えながら聞くということになりがちであった。
これがヘッドフォン最大の欠点である。
いくら音が良くても、この欠点がある限り、ヘッドフォンはどうしようもなく不完全なシロモノなのだ。
しかし、BOSEはそれを解決した。BOSEが民生用のヘッドフォン市場に参入してから、まだそんなに長い年月は経っていないが、BOSEはその第一号モデルから抜群の装着感を誇っていた。これだけでもう、最初から成功したようなものである。
現時点で、BOSE以上に装着感の良いヘッドフォンは、おそらく世界中のどこにもないであろう。
ヘッドフォンは、音が良いだけでは絶対にダメなのである。
音の良さに加えて、苦痛のない装着感がないといけない。
その点、総合性能でBOSEのヘッドフォンは世界一であろうと思う。どのモデルを買っても、満足すること間違いなしだ。
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