2011年2月17日木曜日

BOSEの評判

BOSEの評判は、一般的にはすこぶる良い。

だが、インターネット上では、一転してBOSEバッシングばかりが目立つ。

特に本国アメリカではひどい。

ウィキペディアによると、BOSEはアメリカでもヨーロッパでも、トップシェアのオーディオ(スピーカー)メーカーであるが、世界のあちこちに反米勢力がいるように、BOSEにも“アンチ”が大勢いるのである。

どういうわけか、anti BOSEの人々は、BOSEをけなすのに情熱的であり、無駄な時間を割いてせっせと投稿される人が多いようだ。まぁ、これは、たとえて言えば、宗派間の対立みたいなものか…。

日本でもそうだが、いわゆる「ピュアオーディオ」系のマニアは、BOSEを嫌うか、無関心である。

逆に私のようなBOSE好きは、BOSE以外のブランドにはあまり興味がない。(音楽を聴くことが大事なのである。)

ピュアオーディオとかハイファイとかのマニアが勧める高価なスピーカーシステムを、たまには試聴してみるのだが、特に感銘を受けたということはない。

彼らは「BOSEの音にはクセがある」というが、彼らが勧めるスピーカーのほうがよほどひどいクセがある。

それらは、中高音が耳に痛く、低音は不明瞭というものが多い。長時間聞き続けるには少々辛いものがある。

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「BOSEはスペックを公表しない」という苦情も多い。

だが私は、BOSEにはスペックにこだわらず、自由に彼らが良いと思うスピーカーを作ってもらいたいと思う。

スペックにこだわればこだわるほど、音の味わいは平凡で無個性で、つまらないものになってくるだろう。

おおよそ、平均的なものに媚びるようになると、魅力は薄れてくるものだ。

それにしても、BOSEの音を聞いて、それを「悪い音」とする感性が、私には信じられない。

BOSEを悪い音と感じる人は、やがて途方もないお金をオーディオにつぎ込むようになり、いつ果てるとも知れぬオーディオ地獄の火炎に喘ぐようになるだろう。

それこそ、悪しき宗教に騙された人のように、次から次へと貢がされるようになるのである。

趣味を越えて、地獄に陥る人が多い。

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本当に音楽を楽しみたい人にとって、BOSEは常に賢い選択である。

Jazzやクラシックを聴きながら、オーディオケーブルがどうのこうの、周波数特性がどうのこうのなどと考えているようでは、ひとつも楽しくない。

酒もまずくなるというものだ。

2010年6月30日水曜日

極上の音を感じる時

オーディオ道に「これでよい」ということはないのかもしれない。
良い音の向こうに、更に良い音が待っている。

オーディオ愛好家には「もっと光を」ではないが、「もっと良い音を」という願望が常にある。

では、「もっと、もっと良い音」とはどういうものか。
それさえも、よくわからない。
実際のところ、無い物ねだりである。

ただ、私が近頃感じることは、リラックスできるような音楽を、スピーカーから風のようにたなびかせる時、それは極上の音に限りなく近いということである。

その鍵は、最適な≪音量≫にあるということだ。
音が大きすぎてもいけないし、小さすぎてもダメ。

空気感のような音は、極上の音に違いない。

2010年6月7日月曜日

BOSEのヘッドフォン

BOSEのヘッドフォンは、音が良いばかりではない。
なんといっても素晴らしいのは、その装着感である。
クラシックの長大な曲を聞いても、耳や頭が痛くならないのだ。

普通一般のヘッドフォンで交響曲などを聞くと、終楽章に差し掛かるころには、かなり耳たぶが痛くなっているのが常であり、最後は輝かしいフィナーレを苦痛に耐えながら聞くということになりがちであった。

これがヘッドフォン最大の欠点である。

いくら音が良くても、この欠点がある限り、ヘッドフォンはどうしようもなく不完全なシロモノなのだ。

しかし、BOSEはそれを解決した。BOSEが民生用のヘッドフォン市場に参入してから、まだそんなに長い年月は経っていないが、BOSEはその第一号モデルから抜群の装着感を誇っていた。これだけでもう、最初から成功したようなものである。

現時点で、BOSE以上に装着感の良いヘッドフォンは、おそらく世界中のどこにもないであろう。

ヘッドフォンは、音が良いだけでは絶対にダメなのである。

音の良さに加えて、苦痛のない装着感がないといけない。

その点、総合性能でBOSEのヘッドフォンは世界一であろうと思う。どのモデルを買っても、満足すること間違いなしだ。


クワイアットコンフォート3

2010年5月24日月曜日

サボりすぎた!

お久しぶりでございます。

なんと、去年の3月31日から書いてない。

月日の経つのは何と早いことか。

あれから、Acoustic Wave® music system IIとBOSEのインイヤーヘッドフォンを手に入れて毎日楽しんでいる。

Acoustic Wave® music system IIを聴いてみて思うことは、低音はもとより、中高音が凄く綺麗であるということである。

最近のBOSEのフルレンジスピーカーは、同軸2Wayではないかと思えるほど、再生帯域が広い。

世の中には、高音を強調しすぎたスピーカーもいくつか存在するが、その多くは音が荒れている。

Acoustic Wave® music system IIの高音は、その点、非常によく仕上がっていて、破綻がない。

この製品の欠点を無理やりにでも挙げよと言われたら、私はなんと答えようか。

唯一の欠点は、セパレートタイプではないということである。

しかし、これはこの製品の「属性」であるから、欠点とはいえない。

オールインワンタイプのオーディオでは、世界第一級間違いなしだ。

新型のフルレンジは本当に素晴らしい音だ。

※欲を言えば、スリープタイマーが付いていたらいいな、と思う。時計までは要りませんけど、眠りながら聴くことはよくあるので・・・。

2009年3月31日火曜日

音が良くないとき

クラシックなどをBOSEで聞いていて「ちょっと音が良くないな」と感じることがある。録音が悪い。こういうCDは、超ワイドレンジを誇る他社のピュアオーディオ・システムで聞いても、ほとんど改善されない。BOSEで聞いて音が悪いCDは、他社の高級システムで聞いてもやはりダメなのであった。

ネットでは、「BOSEはクラシックに不向き」という書き込みを見かけるが、そんなことはない。普通にちゃんと聞けるし、違和感もない。BOSEは、低音がやたら強調されてブーミーな印象があるが、これが低音の痩せたクラシックの場合、まことに具合が良いのである。

BOSEは、ちゃんと、クラシックを聞くことを考えて設計されている。パソコン用のスピーカーは別として、一般のオーディオ用スピーカーは、オーケストラも室内楽もうまくこなす。値段以上の音がしていることは間違いない。

それにしても、CDは、本当に音が良いのか?
時代がLPからCDに移行したとき、「これでほぼ完璧な音になった」と思い込んだものだが、耳が肥えてくると、CDの音も粗いものであることがわかる。録音自体が良くないCDとも結構出合った。

意外と音が良いのはFM放送である。これはアナログだし、CDと比べるとレンジも狭いのであるが、それでも耳にピタッとくる音である。聴覚が最も敏感な周波数帯域が充実しているのであろう。スペックの数値より、実際に聞いてどうかということが重要だ。

音がイマイチのCDでもBOSEのスピーカーで聞くと、ある程度音が補正され、それなりにアラが隠れる。巷のいわゆる“ピュアオーディオ派”は、録音されたままの補正されない音を求めるのであるが、それで良いことは一つもない。粗い音を鑑賞して何が楽しい?

私は、ピュアオーディオ派とか、オーディオマニアの言うことをあまり信じてはいない。彼らが良いと主張するシステムを試聴しても、あまり良くなかったから。◎&Wとか、高音が耳に辛く、とても長い時間聞いていられるものではなかった。あんな音に何百万円もかけるのはナンセンスだ。

今、世界の音の標準はBOSEにある、と思う。この音に満足できないオーディオマニアは、遅かれ早かれ、オーディオ地獄に陥り、あれこれ高価なアクセサリーを買い漁って、生活費の大半を無意味なオーディオにつぎ込むことになるのである。生活を共にしている家族も大迷惑である。

BOSEで満足することが音楽的にもオーディオ的にも正しいのだ。個人の好みもあるが80%の人はBOSEの音に満足するはずだ。

アコースティックウェーブミュージックシステムII

2009年3月25日水曜日

モーツァルトの愉快な悲しみ

モーツァルトの音楽は、なんでいつもあんなに微笑んでるんだろう。

まるで光の子が、愉快にはしゃぎながら、駆け抜けていくようだ。

交響曲「プラハ」のように、いつも、ワクワクしていたいな。

でも、モーツァルト自身は、あの音楽ほど、幸福に輝いていたわけではあるまい。

晩年には、人生に暗い影が差す。

にもかかわらず、最後の交響曲「ジュピター」には、そのような暗さがまったくない。

最終楽章は、まるで天界にいるかのようである。

彼の耳は、天界にあったのか?

彼はフリーメーソンの主要なメンバーだった。

彼の人生の暗さは、音楽のどこに表現されているのだろう?

晩年のクラリネット協奏曲やピアノ協奏曲の中にそれを少しだけ見ることができる。

ある短い何小節かで、弦楽器がものすごく綺麗な和声を奏でる瞬間がある。モーツァルトの涙とでも言うべき瞬間…

--綺麗!綺麗過ぎる。そして、綺麗過ぎて悲しいのだ。

綺麗過ぎるもの、美しすぎるものは、常に独特の悲しさを帯びている。

その異様な美しさは、かえって恐ろしいくらいだ。

その瞬間が過ぎれば、またもとの曲調に戻るが、見てはいけないものを見てしまった私にとって、曲の始まりの時のようにワクワクすることは、もう出来ないのである。

悲しみを暗い旋律ではなく、美の極致で表現できるモーツァルトは、やはり光の子なのであろう。

今も私の脳裏には、「プラハ」の第一楽章が、快活なリズムを刻んでいるのである。

2009年3月16日月曜日

夜のジャズピアノ

春の兆しを感じる夜。街灯は夜霧に包まれて淡く輝く。

そんな夜には静かなジャズピアノにオンザロック、そしてレーズンバターを少し。

美術画廊で買ったばかりの油絵には、まだテレピン油のにおいが残っている。
闇に舞う一匹の蝶。孤独な画家の魂。漆黒の中に浮かんだ花びらに、まさに止まらんとして、時間は凍結している。

そこに共感を覚えた私もまた孤独な蝶なのであろう。

グラスの氷が溶け、琥珀色の液体をクリスタルに染める頃、私はまどろみ、魂は無限の闇へと落ちて行く。

闇の中に、一輪の花を目指して…。

BOSEサウンドは、常にあなたとともに・・・